55期 夢叶えプロジェクト

皆様の力を借りながら、利用者・入居者の人生最後の思いのために力を貸していただきたいと思います。

食事をしながらドライブに行きたい

Sさんは、大正十一年一月に双三郡で生まれる。
幼少は、わんぱくで歴史小説が好きな、読書家であった。
青年時代は大阪で過ごし、社会科の教員を務める。

昭和十八年

大東亜戦争で召集され中支に派遣される。戦争中に、戦友の死に遭遇した事を、今までの人生で一番辛かったと言う。

昭和二十年

終戦で無事帰国する。中支より帰還した時、玄海灘で日本の土地(九州)が見えた時、涙が止まらなかったと話す。
家族は、Sさんが故郷に帰って来た日、驚きと喜びで全員が言葉も出ず喜びをかみしめた。
その日の夕食は食料難の為、米少々とじゃがいものお粥を炊いており、遠慮しながら「もう一杯食べても良いか」と言われ、兄さんから貰えたのが今も頭に残っており忘れる事が出来ない。

昭和二十八年

奥様と職場で出会い、結婚する。新婚旅行は、夏に二人で九州一周と山陰方面へ四日間の旅行に行かれる。
九州は阿蘇山のあの雄大さ、火口のものすごさに身震いする程の感動覚え、下山の途中草原では、放牧中の牛の美しさに再び感動した。
長崎では、オランダ坂、平和公園、歴史的観光地、大分では、別府温泉の地獄めぐりなど自然の偉大さを心ゆくまで味わった。
下関から山陰本線で出雲大社に参拝し、三瓶山では乗馬を楽しんだ。最後、玉造温泉に宿泊し疲れを忘れ、帰郷する。

昭和三十一年

夫妻に待望の長男が誕生する。難産であった。

昭和三十年後半

父親の容態が悪化する。
次男のSさんが、「自分が両親の面倒を見る」と定年前に教職員を退職し、実家で両親の面倒を見る。情にもろく責任感の強い性格であった。両親は農業をされていた為、農業は農業組合の職員を雇いながら、後を継ぐ事となる。

昭和四十八年

町内の地理歴史を探求してみたいと有志八名で郷土史談会を作り町内の地名・山林・河川・道路・神社・仏閣等を自動車で廻りながら地図の作成や写真を撮っていた。その集会が月二・三回定められていたが、楽しそうに出掛けて行く姿が目に浮かぶとの事。(奥様談)

一生を通して

庭園の植物栽培に興味があり、家の囲いは植木や草花で一杯であった。特に築山のサツキ作りと花壇の菊の挿し木は得意で鉢植えにしたりして、いろいろ楽しんだ。

平成十九年秋

物忘れが酷くなり、異様な言動が感じられるようになり、医院で診察を受け、認知症の傾向があると言われる。

平成二十年一月

紹介状を持って総合病院へ行き診察を受け、暫く療養する事となった。

平成二十一年六月

ネクストビューふじ川内へ夫婦で入居する。

平成二十一年七月

奥様が体調不良にて病院へ入院した為、Sさんは、1ヶ月程ショートステイに入所後、ふじの家川内へ入居となる。奥様は、しばらくして退院する。

平成二十二年二月

Sさんが、早朝に吐血し入院する。脳梗塞と診断される。後遺症により、歩行困難となり、上手く言葉が話せなくなってしまった。

退院後、ほぼ毎日、奥様が施設へ面会に来ている。

平成二十三年五月

第五十四期夢プロジェクト発足にて夢の公募を行う。

奥様より「主人と食事をしながらドライブに行きたい」と夢希望があり、プロジェクトメンバーにて選考の上、夫婦の夢の実現へ向け、サポートさせて頂きたい旨を伝える。

「私達の為だけに、そこまでしていただいて本当にいいのですか?そう言ってもらえるだけで、嬉しい、気持ちが嬉しいの」何度も何度もプロジェクトメンバーへ言われる。

プロジェクトメンバー伊藤にて、奥様とドライブルートの打ち合わせを幾度と行う。

伊藤「Sさんは、どこに行きたいですかね」
奥様「綺麗な景色や自然を見るのが好きでした」
伊藤「今までで思い出に残っている場所はありませんか?」
奥様「いろいろありますが・・・」

平成二十三年七月

最終的に、Sさんの体力的負担を考慮し、近郊で、好きだった庭園作りを見学する為、縮景園に決定する。十一月に菊花展が開催される為、日程を平成二十三年十一月七日とする。

ところが、夢の実現までここから、一年以上の歳月を要する。

平成二十三年十一月三日

ネクストビューふじ川内の奥様の自宅へ、家族が訪問された際に、びっくりされ、家具によりかかるように、転倒してしまう。
翌日、左上腕骨折と診断される。
奥様より「迷惑をかけないのであれば、予定通り行きたい」「行ける時に行きたい」とおっしゃる。

平成二十三年十一月五日

奥様から伊藤へ電話が掛かる。
「車椅子を押したり、食事も食べさせる事が出来そうにない」

伊藤「奥様の状態が戻ったらまた行きましょう」「大丈夫ですよ」
奥様「すいません」

今回の企画は、延期となる。

平成二十四年五月

第五十四期プロジェクトリーダーの當田ホーム長と相談し、そろそろ、気候も良くなってきたので、再計画の提案を、奥様へ伝える。

奥様「まあ、嬉しいです、宜しくお願いします」

再度計画するも、同月、Sさんが肺炎を患い入院となる。

プロジェクトメンバーも、他職員も、夢の実現が出来るのだろうか、不安に駆られる。なによりも、奥様が一番不安に思われている。いつ退院されるのだろう、無事退院出来るのだろうか。実現できなかったら、悔いが残ってしまう。

平成二十四年六月

約一ヵ月の入院で、無事退院する。

職員「Sさんお帰りなさい」

全職員、入院前と変わらないSさんを見て、安心する。奥様も非常に明るく興奮された様子で、施設へ再び面会へ訪れるようになる。また入院前より次第に発語も増えてきた様子であった。

平成二十四年十月

奥様へ、昨年と同様、菊花展(十一月)に行きませんかと確認を行う。奥様から強い思いが感じられた。今度こそは、無事何事もなく、実現できますように、祈るような思いだった。

平成二十四年十一月六日

当初、計画した出発日より丁度一年経過する。

伊藤「ようやくこの日を迎える事ができましたね」
奥様「うれしくて、うれしくてしかたありません」

當田ホーム長・伊藤・S様夫妻にて縮景園へ出発する。庭園を観賞しながら、奥様がSさんへ「とうちゃん、しっかり見てよ」何度も何度も声掛けられる。
また、菊花展の菊を指差しながら、「とうちゃん、上手じゃったじゃない、とうちゃん、よく育てよったよね」時折、Sさんも頷く。
丁度その時、展示会場では、観光客が遠ざかり、奥様も椅子に腰掛け、二人だけの空間(時間)が訪れた。

その後、美術館の喫茶店でケーキ・コーヒーを二人で楽しみ、奥様が一生懸命、Sさんの食事介助をしていた。 當田ホーム長・伊藤は、この瞬間、夫妻の間で流れた長い歳月・強い夫婦の絆を感じた。

今振り返ると、一回目・二回目の延期は、神様が今日は行かないほうが良いと警告してくれて、この日に最高の状態で出掛けられるよう演出してくれたのではと思う。

正しく「三度目の正直」では・・・

夫婦で、外出する事は、容易ではありません。今日この日が、二人の最後の外出になるかもしれません。
S様夫妻いつまでも元気でいて下さい。有難う御座いました。

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